Have You Ever Seen The GARO?
「GAROを見たかい?」


■わたしが見た、GAROのいた時代。
byきょ

71・12●このファミリーコンサートというのは解散後のタイガースの加橋かつみ、森本太郎の二人が 開いたもので、なぜかそこに、ムッシュかまやつ率いるところの GAROが出演していました。
この日をきっかけに,わたしの追っかけの日々がはじまりました。
この後、年が明けて、2月頃だったかCCR(クリーデンス・クリアウォター・リバイバル)の名古屋公演でふたたび、GAROを目撃。
早速、楽屋訪問しました。
警備は無防備に近く、バイト警備員に「GAROにあいた〜い」とお願いしたらすぐに、楽屋へ案内してくれました。
その日のコンサートは、当のCCRより GAROのほうが何倍もうけていたのが 印象に残っています。




72・3●この頃はまだ、フォークやロックファンの人口が少なかったせいかこのようないくつものバンドが集まってのコンサートがよく見られました。
ウッドストックの影響もあったでしょう。
お目当て以外のあまり好きじゃないバンドや、知らないバンドも生で聴くと、けっこう好きになったりしました。
GAROにもそうして巡り会ったわけですが。
ちなみに、このコンサートまではマークは七三わけのちょっと茶色の爆発ヘアーでした。
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72・5●ロンドン系ブティック主催のライヴです。
会場には、スパンコール、ラメ、サテンの光り物ファッションに身を包んだ、 マーク・ボランやデヴィッド・ボウイたちがうようよしていました。
この日、ヘビ革のロンブーをいったい,何足見たことでしょう。
加藤和彦さんは、サディスティック・ミカ・バンドの 頃だったような気がしますが、このチケットではソロみたいですね。
青い髪、ピンクの髪のミカバンドに中学生くらいの高中正義さんの姿もあったように記憶しています。

でも、一番かっこよかったのはやっぱりわたしたちのあの、三人でした。




72・5●きょ、マークさまをお起こしする・・の日比谷野音です。
ホットカーラーに時間を取られたせいでマークの到着は出演時間のぎりぎり。
ろくに音あわせもせずにステージへ。
それで、あの素晴らしいコーラスと演奏、やっぱり、この人たち、ただ者ではないなと、確信に確信を重ねた日でした。




72・6●文文というのは、名古屋の老舗のロック喫茶です。
あのころの若い人たちはほとんどが貧乏で欲しいレコードを
全部買うことはできず、テレビは勿論、ラジオでもそうは流
れてこないのでこういうロック喫茶でリクエストして大好き
なロックを聴いていました。
ツェッペリン、パープル、ピンクフロイド、エマーソン、
ジャニス・ドアーズ・・
大音量で思う存分聴ける場所でした。
そして、ハードなロックの合間にCSN&YやGAROがよくかかりました。
CSN&YとGAROはロックだったのです。
そしてこのコンサートもロック喫茶さながら・・でした。
ふらいどえっぐのギンギンのロックと 生ギターで繰り広げられる 幻想的ロック。
GAROの素晴らしさが一層ひきたつとても良いライヴでした。




72・6●雨降りの6月とは思えないほど寒い日でした。
開場まで、長く待たされて、お客はイラついて騒々しく、PAは悪いは、照明は暗いは、主催者出てこ〜い!
と叫びたくなるような最悪のライヴでした。
でも、浜松から名古屋までGAROと一緒に帰って来られたのはラッキーでした。




72・6●あの、11PMです。
ある一時期、土曜日に名古屋発、ヤングイレブンとかいって、黒沢明監督の御曹司、黒沢久夫の司会で若くて、有望なミュージシャンを紹介する番組がありました。
そこに、GAROが出演。名古屋テレビにはツテなど無かったのですが電話をかけて「GAROが見た〜い」とお願いしたら、収録のスタジオの中にまで入れてもらえました。
メンバーはびっくりしていました。
「うちのパパ、ここの社長なの」
と20代の青年たちにホラを吹く、17才でした。
ごめんなさい。




72・7●これ、ちょっと笑えるでしょう?
えんえんと、花嫁ファッションショーを見せられて、チェリッシュ(地元バンド)の鼻詰まり&キンキン声を聴かされて、やっと、GAROのおでまし。
な〜んか、乗りにくいコンサートでした。
でも、この日はとても綺麗な写真がたくさん撮れて、あとでパネルにしてプレゼントしたら三人にとても喜んで貰えました。
父は名古屋テレビの社長さんではありませんでしたが(笑)、GAROを撮るための一眼レフのカメラと望遠レンズを買ってくれる、親ばかでした。



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