Have You Ever Seen The
GARO?
「GAROを見たかい?」
■六夢の見たGARO/偶然の赤い糸
1973年3月11日(日曜日)[推定]
新静岡センター特設会場<TV番組公開録画>
この世の中は偶然という歯車で成り立っている。
何の変化もないように見える日常の生活でさえ偶然が見え隠れしている。
現にこのGAROFANページも、いくつかの偶然が重ならなければまだその姿を表さなかったかもしれない。
そしてここに集まった人々もまた偶然という赤い糸で結ばれこの地に舞い降りたのです。
あれはずっとずっと昔、春の気配を感じ始めた頃。
あの日確かに赤い糸をつかんだ、そう皆と同じ赤い糸を。
偶然という歯車の中で・・・・・・・・・・・・・・
1973年3月×日
その日は朝からポカポカの良い陽気だった、少なくとも心の中はルンルンだったはずである。
待ちに待った「青い三角定規」を見に行く事になっていたからだ。
きっと公開録画の予告でも見たのだろう、自分で出向く初めてのライブでもあった。
いつも通りバス、汽車を乗り継いでお昼過ぎには静岡の駅に着いていたと思う。
そこから会場までは歩いて10分もかからない。
大きな道路沿いに歩いた訳だが、その道のりの一場面だけは今でもはっきり覚えている。
よほど気になっていたのだろう。
当時青い三角定規はTVに出る事もなく既に忘れ去られた存在になっていた。
「太陽がくれた季節」で爆発的人気を得たがその後が続かず私が大好きだった「夏に来た娘」も人気を回復するまでには至らなかった。
「果たして人は集まるのだろうか」・・・・・・・・・その事ばかり考えていた。
今思えば何故そんな事をという感じだが、たぶん人が集まる事で「まだ死んではいない」と信じたかったのだろう。
ただ人の集まりは少ないだろうという悲観的な思いが大半を占めていた事も事実であった。
大きな交差点を右に曲がれば会場はもうすぐそこである。
会場はデパートの後方にあり隣がバスターミナルになっている。
その会場に行って驚いた。人、人、人・・・・・・人で溢れていた。
「そんなはずはない」
どう考えても今の「青い三角定規」にこれだけの人を集められるとは思えない。
それに女の人が異常に多い。
ファン層を知ってる訳ではないがこんなに女性ファンが多いとは。
いくら疑っても現実は現実、釈然としないながらも次第にうれしさがこみ上げて来る。
観客の輪に入り中を覗くとそこには長い髪をしてギターを持った二人の若者がいた。
ラフなスタイルの二人は椅子に座り静かに本番を待っているかのようだった。
そうなんだ。観客のほとんどはこの二人を見に来てたんだ。
公開録画は二週分まとめて収録され、最初がこの二人組だったのである。
番組は鳥塚しげき(元ワイルドワンズ)の司会で進められガロと呼ばれたその二人は四曲を演奏し無事に収録は終えた。
その時何を思ったのか、全く思い出せない。
ただ大げさなセットらしい物は無かったのだろう、右横からだったがはっきりとその姿を捕らえる事が出来た。
憶えている事と言ったらそんな程度なのである。
ちなみにその後に行なわれた「青い三角定規」の模様も全く憶えてない。
帰り道、私は大きなデパートのレコード売り場にいた。
何故いたのかはこれまた判らないが、たぶん目の前で演奏された生の音楽に刺激されたのだろう。
レコードを見ていると店内にどこかで聴いたような音楽が流れ出した。
それでもしばらくは気がつかなかったがそれがあの二人組だと気付いた時・・・・・・・・
憶えてる、あの時の事を、急速にその音楽が身体の中に入ってきた時の事を。
あの時だった、赤い糸をつかんだのは。
偶然にガロのライブを見、偶然にガロの音楽が流れ・・・・・・・・
そして二度目の偶然でつかんだ。
その後はガロしかなかったのだろう。
会社の先輩からテープレコーダーを借り、その番組を録音している。
「学生街の喫茶店」「涙はいらない」「地球はメリーゴーランド」
「学生街の喫茶店」はボーカル休養の為マークが歌っている。
「美しすぎて」はオンエアーされなかった。
邪魔な声が入り、犬の鳴き声もする、録音状態もひどく、一瞬音楽が途切れたりもしてる。
どうしようもない状態だが一番大切なテープだった。
あのテープを聴きながらどんどん深みにはまっていった。
あの日の音楽がガロの原点だった。
[追記]
それからレコードを買い始めたのですがほとんどが気に入らず又タイミングも悪かったりで結局心から喜べるレコードには出会えませんでした。
それでも追いかけたのは余程の想いがあったからでしょう。
そしてガロ解散後最初に出したマークファーストの感激がそのまま今のハンドルネームになっています。